生配信と、終戦の詔書、玉音放送に関する件

赤傘

当然ながら、私は終戦に際しての玉音放送を聞くことが出来た世代ではない。

しかしながら、子供の時に父親から聞かされた話として「何を言っているのかよくわからなかった」と母親(私からしたら祖母)が言っていたという話は聞いたことがある。

結局、放送は、いわゆる「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」がすべてという様な話だったと記憶している。

映画やドラマでも、よくそのような場面が描写されることが多い。

しかし実際は、天皇による終戦の詔書の朗読(録音)の後、その玉音放送の内容に関する解説などが付随していたという。

具体的には、

15日正午の放送内容
(中略)
5.大東亜戦争終結ノ詔書(昭和天皇の録音盤再生)
(中略)
8.玉音放送の解説(以下全文)・「謹んで詔書を奉読いたします」
9.終戦詔書の奉読(玉音放送と同内容)
10.終戦関連ニュース(項目名は同盟通信から配信されたニュース原稿のタイトル)
11.内閣告諭(14日付の内閣総理大臣鈴木貫太郎の内閣告諭)
12.これ以上国民の戦火に斃れるを見るに忍びず=平和再建に聖断降る=(終戦決定の御前会議の模様を伝える内容)
13.交換外交文書の要旨(君主統治者としての天皇大権を損しない前提でのポツダム宣言受諾とバーンズ回答の要旨、これを受けたポツダム宣言受諾の外交手続き)
14.一度はソ連を通じて戦争終結を考究=国体護持の一線を確保=(戦局の悪化とソ連経由の和平工作失敗と参戦、ポツダム宣言受諾に至った経緯)
15.万世の為に太平を開く 総力を将来の建設に傾けん(昭和天皇による終戦決意)
(以下略)

玉音放送 15日正午の放送内容Wikipedia

上記の通り、天皇および内閣は、玉音放送以外で終戦に関する事柄を具体的に国民へ伝える努力をしていた。

しかしながら、有名なのは先ほども記した「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」である。

なぜそういうことになったのであろうか。

もしかすれば、私が知らないだけで他の方には常識なのかもしれない。

だが、物事、特に天下国家の行く末を定めるに当たっては、それなりの努力がいるであろう事は当然間違いない。

国民へ、具体的な理解を促す必要性があるであろう事も間違いない。

だがなぜ取り上げられるのは「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」なのであろうか。

私たちは、その背景にいた人々の努力を忘れてはならない。

さらに言えば、今となっては「見えない」部分を無視してもならない。

どういう経緯で「終戦」へ至ったのか、「終戦」が国民へ伝わったのか、それである。

水面下での工作なども同様である。

終戦を例にとった話ではあるが、つまり何事も大局を以て見定めねばならないと思うのです。

背景が隠された短絡的な情報やそれによる行動・認識というのはさもしい。

情報というのは、たとえ内容が同じであろうと、理解が同じであろうと、伝わるにつれて変化していく。

玉音放送に関する件も、現代のインターネットに関する件も、私はこれにつきると思うのです。

そのためにこの文章を記しました。

以上

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です