今年2023年で、東日本大震災、それに伴う福島原発事故から12年となった。
私は件の原子力立地地域で育った。
福島にあった実家は、福島第一原発から10キロ圏(意外かもしれないが、たったこれだけの距離だとは意識をしたことがなかった)にあり、原発事故の影響で事実上実家を失うこととなった。
(念のためだが、2011年当時の私は学生として静岡・清水で生活していたため、住民票はあっても実際の居住の実態がないとして補償金などはもらっていない)
私は2011年の秋卒業で、かつ、就職未定のままの卒業であったため、特に行き場もない状態であったから、父母が避難先としていた千葉へ身を寄せることとなった。ただし、後から聞かされた話だが、私が千葉へ移ることというのは想定外だった旨伝えられたこともあり、家族とともに生活するといえど真に心地よい生活ということはなかった。
このような流れの中で全く縁もゆかりもなかった千葉との関係がこうして始まった。
私は今も千葉に住み、仕事も千葉にある。父母は父母で千葉で新たな生活を始めた。
冒頭にも記したが、震災・原発事故から今年で12年の月日が経過した。
12年というと一般的には非常に長い月日であるが、震災・原発事故からの私の12年というのは、意外にもあっという間だったというのが率直な感想だ。
本当に12年あっという間だった。
ただし2011年からの最初の1~2年は異常なほどに長く感じたが…
今が特別不幸ということはないが、信頼してきた原子力とは何だったのか、この12年というのは一体何だったのか、やるせなさとともに虚無感を感じている。
加えて、復興復興とはいうものの、除染のためだとして実家は取り壊しになり、もちろん実家だけではなく、周囲の家屋も同様だ。そういった町の姿の変わり様を見聞きするに、復興というのは何なのか、とも考えずにはいられない。
何度も繰り返しになるが、12年あっという間だった。
果たして「今年で震災・原発事故から○○年か…」といった束縛から逃れることの出来る日はいつになるであろうか。
そのときこそが真の復興であるだろうと信じてやまない。