ニコ生文化と称するものは現代の価値観について行っているのか

ニコ生考察

表記の通りである。ニコ生が始まったのは2007年頃だろうか。今は2023年である。

この間にネットを取り巻く環境は大きく変わった。とはいっても、時代に即して変わった人もいれば、そうでない人も当然いるであろう。様々なプラットフォームがある中で、それぞれ使い分ける人もいるだろう。

そんな中ニコ生で配信をしていると、たまに“ニコ生文化”なる言葉を目にすることがある。

簡単に言えば、黎明期のニコ生で通用していた文化ということになるだろうか。たとえば「荒らし煽りはニコ生文化」というものである。私は黎明期のニコ生を知らないから、「そうなの?」くらいに受け取るしかないのだが、そんな文化が通用していたということには驚く。なぜ負の方向へ、と。

もちろんそれだけがすべてではないだろうが、上記のような文化を今でも当然と口にする人もいるから、それには恐怖のようなものを覚える。

「荒らし煽りは2ちゃんの文化」というのもあったような気がする。ただし2ちゃんは掲示板であって、一対多数、一対一であるが、ニコ生の場合は多数対一である。ここの違いは大きい。

古き良き時代には許された行為も、現在では許されなくなっていることは多い。

そもそもでいえば、2ちゃんといえど「死ね」は「氏ね」と置き換えるくらいの了見があった(ある?)。ストレートに攻撃してはいけない、そしてそれはかっこ悪いとの認識。

この2023年の現在、テレビのリアリティー番組に端を発した木村花さんの事件から議論が始まり、侮辱罪の量刑が引き上げられた世界だ。ネットであっても、リアルの価値観がネットへしっかりと適用される時代となった。人一人の死を持ってなされた改革には重みがある。

そして例の”ニコ生文化”だが、いつまで通用するのか見守っていきたい。そして煽るならユーモアがほしい。

参考

ネットの古き良き「煽り」文化|誹謗中傷の時代で失われた間接的な表現

最近のネット民は「煽り」や「返し」が下手になったように思う。

昔は「何言ってんだこいつ」で済んでいたことを、
今は「お前は間違ってる」「お前はクソだ」と言って、
誹謗中傷や人格攻撃をしないと気が済まなくなっている。

ネットの古き良き「煽り」文化|誹謗中傷の時代で失われた間接的な表現言語知能総合研究所

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