ChatGPT 3.5はなぜ受け入れられたのか考察

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はじめに

私はChatGPT 3.5がなぜ受け入れられ、普及にまで至ったのか今でも疑問に思うところがある。なぜなら、決してお世辞にも良い出来だったとは思えないからだ。

私はAIを毎日利用している。決してAI否定論者でないことを記しておく。

ChatGPT 3.5の登場

ChatGPT 3.5は2022年11月30日にOpenAIにより公開された。

言葉を投げかければ、それに対応した回答が即座に帰ってくることに驚き、そして夢中になった記憶が今でも鮮明である。文体はしっかりしているし、文章としても成立している。これは大きい。

しかし同時に、時には回答が全くの的外れであったことも記憶しているし、当然それに対して不満を持つこともあった。おそらく他の利用者にとっても同じであっただろう。

「AIは間違う」が当たり前になった意味

これについて私は、原因は決して設計にあるのではなく、あくまで調整による結果であって、人間にとってAIは「まだまだ」と思わせる意図があったからと推測する。

というのも常に「失敗」ばかりをするわけではないし、人を飽きさせるほどの失敗でもなかったというところからくる。技術ではなくてAI利用の入り口としてのマーケティング上必要だったのではないだろうか。

「まだまだ」という認識は、AIという未知の技術に対する不安や恐れを引っ込めさせるには十分だ。全然人間のほうが賢いと思える状況は、一種の上下関係であって、これは今後のAIとの付き合い方の礎となる重要なポイントである。

「間違う」ということの意味

これには二つの意味を考える。一つは先ほど書いたAIとの関係性の話。もう一方は、AI事業者にとっての話で、「AIは間違えることが当たり前」が世間の常識となれば、ユーザーは完璧を求めなくなるから、営業上、あるいは技術上のバッファのようなものを確保することができ、ユーザーの過度な期待をそらすことができるという効果を期待できる。

これは非常に重要で、AI事業者は回答の内容や精度や正しさについて、免責ではないにしろ、責任は負わない、利用は自己責任で、というポリシーを明確にできる。きっともっとモデルが進化しても、このような表記が消えることはないだろう。

ChatGPT 5.5の登場

2026年4月23日、ChatGPT 5.5が発表された。件のChatGPT 3.5の公開から、たったの1,240日、約3年4か月である。

それでもまだ「まだまだ」を感じることはある。文脈の取り違えはゼロではないし、少し前のやり取りに引っ張られすぎるときもある。CSVファイルの区切り文字を認識しないときもある。

だが、3.5を考えれば愚痴るのももったいない。

AIはこの先どうなる

現状のAIは既にチャット、画像生成、動画生成、コード生成、ファイルの処理・分析など日常の一般的なタスクをこなせるようになっている。足りないとすれば動画編集の分野かもしれないが、これはファイルサイズや帯域の問題で厳しいだろう。

できることが増えるのはユーザーにとってうれしい。が、AI事業者にとってはそう単純ではないかもしれない。定額制のサブスクリプションで何でもかんでも提供するわけにもいかないし、かといってチケット制にすればユーザーの使い勝手に影響する。

勝者としてどこが生き残るかは当然予測不可能だが、上澄みの中でも明暗は分かれるだろう。今の状態がドットコムバブルならぬ「AIバブル」とならなければよいが、半導体、データセンター、電力、水、その他…、など失敗の影響は株式の世界に限らず、現物資産を伴うだけにより悲惨だろう。

おわりに

そんなことを書きはするが、「まだまだ」がこの先どうなるのかが一番知りたい。AIはどこまで「人間らしさ」を学習して「まだまだ」から脱却するだろうか。あるいはどの分野でそれを発揮するだろうか。でもいざ「対等」の関係性が必要となった時、どう行動しようか。AIに聞くわけにもいかない。

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