
注:この記事は曲の解説ではなく、「いちご白書をもう一度」が描く当時の流れや価値観を批判する内容です。
この曲自体は好き。
だが歌詞にある「就職が決まって髪を切ってきた時」は脳が壊れる。
過ぎ去った学生時代を思い出すという内容の曲で、タイトルにある『いちご白書』は、1970年6月15日に公開されたアメリカ映画で、1968年にコロンビア大学で実際に起こった学園紛争の手記をもとに制作されたものである[3]。
(略)
歌詞にある「就職が決まって髪を切ってきた時」というフレーズに対し、音楽プロデューサーの前田は「就職が決まって髪を切るはずないじゃない」とツッコミしている[4]。日本経済新聞2015年11月10日のコラム「春秋」では、「昨今に比べればおおらかな就職戦線だったから、こういう光景があったかもしれない。いまみたいにシューカツなるものがマニュアル化していなかった時代だ」としている[5]。また、ばんば自身は「一瞬妙に思ったが、超優秀だから長髪でも内定した、ということにしておこう」と語っている[3]。
当時は、学生運動の象徴であった東大安田講堂事件から6年が経過し、学生運動の高揚と退潮がまだ社会の記憶に残っていた時代であり、ばんばは本曲について「社会を変えるつもりで闘争に加わった学生達は、生活のために会社の歯車となり、彼らは皆何らかの敗北感を持っていた。この歌は挫折感を抱えた同世代への鎮魂歌なんです」と語っており[3]、同世代の者も同じように受け止めている[3]。
(注)「いちご白書」が実在することは配信で教えてもらうまでは知らなかった
『いちご白書』をもう一度 – Wikipedia
これが鎮魂歌だとか、ため息しか出ない。
何が敗北感や挫折感なのか。
学生運動が成功していれば「不本意な歯車」にならない道があったのだろうか。
複雑な感情が生じるのは、過激派などに歯車として利用されていたと気がついてしまったからではないか?
また「昨今に比べればおおらかな就職戦線」という話があったが、まさにこの時代は学卒者はまだまだ少なく、教授推薦なども十分生きていた時代の話であって、敗北感や挫折感を背負いながらもいくらでも軌道修正が可能だった事も本人たちが証明している。
だいたい妥協的に就職するという価値観が私には理解できない。
そして「昨今の就職戦線」を確立するにあたっては、この世代は体制側の立ち位置であっただろう。
しかし、社会の流れは誰それが簡単におさめることができるものでもない。
かつて大勢が体制と闘った事実も揺るがない。
少し話が変わるが、中島みゆきの「世情」という曲がある。
これも学生運動をテーマとしているようにも取れるが、解釈はいろいろあるとのことだから、中身には触れない。
その「世情」、意外なところで取り上げられていた。
かつて香港で起きた雨傘革命という大きな運動の中である。
言語を超え今に通じる「世情」、どっちかと言われたら俺は中島みゆきを聞くわ。
映像は香港の「雨傘革命(2014年香港反政府デモ) – Wikipedia」のもの。
なぜ「世情」が選ばれたのかはわからない。
だが、映像に映る切実さと、「世情」のもつ底から這い上がるような力強さは、それほど乖離していないように感じた。

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