発信者情報開示請求関連のまとめを見ていた。ニコ生についても関連しているだろうから、記事にする。
ずれ
その中で、誹謗中傷や開示請求に関しての発信者とユーザー間の感覚のずれがあるのではないか、と思った。
412: 風吹けば名無し 2021/09/20(月) 19:55:51.59 ID:nPkV78750
とはいえ芸能人は自身からイキったり煽ったりするくせに自分に矛先が向くとすぐ誹謗中傷言うのがな
【悲報】インターネット、簡単に開示される窮屈な場所になる – 哲学ニュース nwk
煽られる覚悟がないなら他人煽っちゃいかんて
「誹謗中傷は発信者の言動が原因」という意見である。かつてヤフコメでも同じような意見を見たことがある。「アクセス稼ぎに、反応せざるを得ない記事を書く側が悪質」だ、という内容だった。
自分としての感想は、「見なければいいんじゃない」、それだけだったが。
身近な例で例えれば、株の儲け話をした友人へのやっかみとか、からかいに通じるようなところだろうか。何か言いたくなるのはわからなくもないが、人格を否定するような誹謗中傷へ発展するということはおそらくないだろう。
リアルとネットの隙間
この差は、リアルとネットの間にある隙間が原因だと思う。
もはやリアルとネットの間には隙間などないのだが、古い価値観でのネットの捉え方をすれば、リアルとネットは区別されてしかるべきというのが伝統だ。
ここを隙間と捉える。
そして距離感の曖昧さだ。
便所の落書き幻想
かつてインターネットへの書き込み、特にいえば2ちゃんねるなどへの書き込みは「便所の落書き」みたいなもの、という話があった。匿名掲示板(当時は皆信じていた)たる2ちゃんねるの書き込みに、大きな影響力はない、そういう趣旨。
それに匿名だから他人の素性も何もわからない(ある程度距離感があった)。だから、良くも悪くも自由に書き込みが出来た。当然傷ついた人は大勢いるだろうが。
だが今を取り巻くネット環境は少し違う。
匿名掲示板よりSNSが主流になり、アカウントの向こうには紐付けられた生の人間が存在するということ。そして、仮に誹謗中傷などがあれば、それは必ず当事者へ向けられるということ。
距離感、隙間が引き起こす悲劇である。
地雷
この隙間をいかに埋めるか。
先ほどの引用部分には、「自身からイキったり煽ったりするくせに」という文言がある。
次いで、「煽られる覚悟がないなら他人煽っちゃいかんて」が挙げられている。
自身が直接的に攻撃されているわけでもないにもかかわらず、こう感じる人がいるということは特筆に値すると思う。情報発信をする上で、いつ地雷を踏むことになるか、破裂させるかはユーザー側にあるということになるからだ。
ユーザー側もスルースキルを持つべきでは?と思うが、怒りのようなものは感情の発露であるから、理性どうこうで解決は出来ないのだろう。
落とし所
上記のような意見が、まだまだ一般的である限り、今はもう逃げ場はない。
姿を消すにはアカウントを閉じるしかない。
ただし、情報を発信するものに対する救い?となる流れも見えてくる。
なんだかんだ司法を持ち出されることには抵抗があるようだ。強権に出るのは、ずるい、というような感覚が伝わってくる。
でも、ずるいと言われても、残念ながら話せばわかるというのは幻想。
いざ必要な手立ては、開示請求、司法にしかない。
最後に
嵐は予想外の長雨をもたらすこともある。
嵐が過ぎるのを待つという選択は、今や過去のものだ。